匠塗装ブログ

松下 幸之助。

 本格始動で1日 バタバタしていましたが夕方、大阪 堺の伯母から急な呼び出しを受けました。

「あんた、正月過ぎてだいぶ経つけど、いつなったら来るんや!!」
仕事を早めに切り上げ、大急ぎで家族を連れ、大阪に向かいました。

そう言えば、毎年 必ず 「新年の挨拶に伺うツアー」をしていたのをコロッと忘れていました。

ついでと言っては怒られますが、伯母の家に伺う前に、私の仕事の師匠でもある叔父の事務所に伺いました。

叔父は大阪で工務店を経営しています。

手前味噌で申し訳ございませんが、叔父が何より熱中しているのは息子の耕太の事です。
11人いる私の従兄弟の1人 耕太は数年前、バンドでプロデビューしました。
バンド名は 【シカゴプードル】



まだまだバンドを始めた頃から息子のバンド活動を両親揃って「馬鹿じゃないの?」と思う位、必死に応援し、息子もその期待に見事答え、メジャーデビューしました。

まだまだ無名のバンドですが、従兄弟としては有名になってくれればやはり嬉しいですよね。

叔父への新年の挨拶を終えて、大急ぎで伯母の待つ寿司屋に向かいました。




自分の両親以上に私を可愛がってくれた大恩ある大好きな伯母です。
両親より、この伯母に物を買って貰った記憶ばかりが残っています。

コテコテの大阪のおばちゃんで、去年私と2人で近所の居酒屋に行った時、隣のテーブルでサラリーマン20人位が新年会ぽい事をしていました。

隣のテーブルは大盛り上がりで私と伯母の会話がお互い聞こえないぐらいの騒ぎようです。
伯母はか細い声で、「ちょっと兄ちゃんらゴメンやけど、もうちょっとだけトーン落としてくれる?」と可愛く言いました。

イケイケの伯母にしてはえらく優しいなと不思議に思っていましたが、酒を飲んで一旦盛り上がった大衆の勢いは止まりません。

「すいません。」と謝った3分後には元の盛り上がりに戻っていました。

伯母はテーブルの分厚いメニューを持って立ち上がり、フルスイングで20人全員の頭を順番にぶったたいて行きました。

「何やねんおばはん!!」と歯向かう男性に伯母は大声で言いました。

「そない騒ぎたいんなら100万でも200万でも出して、この店借り切れ。 それやったら私も文句言わんわい。 でもあんたらそのビール何ぼで飲んでんや。 どうせ私らと同じ値段で飲んでんやろ。 皆 同じだけ払うんなら他の客の迷惑もちょっとは考え!!」

内心、凄い理屈やなぁ・・・・・・・と私は思いましたが、数秒の沈黙の後、20人全員が、「すいませんでした。」と、心からの謝罪を伯母にし、そこから隣のテーブルはお通夜の様に静かになりました。

私がまだ子供の頃、この伯母に連れられ大阪 心斎橋の日航ホテルに昼食に連れて行かれました。

御飯を食べ終え、帰ろうとエスカレーターに乗った瞬間、伯母は 「松下幸之助や!!」と叫び、ガリ股でドタドタとエスカレーターを駆け降りました。

訳も分からず必死に伯母に付いて行くと、男性2人に両脇を囲まれた白髪のお爺さんが立っていて、「私、大ファンなんです!!」とお爺さんと握手してる伯母がいました。
「あんたも握手してもらい」と私は伯母に突き出され、私はお爺さんを見上げました。

今まで死人の様な目をしながら私の目を見つめていたお爺さんが私の頭をなでながら伯母に目を見開き、鋭い目つきで言いました。
「この子は大事に育てなさいよ。 こんな真っ直ぐな目をした子は必ず将来 大物になるよ。」

伯母は何度も「ありがとうございます。 ありがとうございます。」と嬉しそうに連呼していました。

私は凄い人がこの世にはいるんだなぁ・・・・・・・と、一瞬で尊敬しました。

多分、この人は、私だけじゃなく皆の子に同じ事を言っているんだろう。
なのにたった一言で伯母の心を動かした、この人の言葉の力は凄いなぁ・・・・・・・・・と感心しました。

まさにモチベーションの達人ですよね。

大人になって、経営者になってやっとあの時のお爺さんが松下幸之助だと言う事に感激しましたが、やはり経営の神様です。

勿論、それだけが理由ではないでしょうが、伯母が今まで私を可愛がってくれた理由の中の1つには、松下幸之助のマジックに掛かっている事もあるんじゃないかと私は思います。

※岡部社長、コメントありがとう。 まさか見てくれてると思ってなかったから嬉しいサプライズでした。
 修さんと話してる時に良く岡部ちゃんの話題が出ます。 また3人で飲もうね。







I Love 神戸!!

 

さぁ今日から仕事始めです!!

と言っても今日は1日もろもろの内勤仕事で、本格的な始動は明日からです。

今年は何軒の住宅に携わり、新たな出会いが待っているのでしょう?

私は自分の住む、この神戸の街が大好きです。北には山があり、南にはすぐ海がある。



更に、私の住む家のすぐ近所には川まで流れています。



都会でありながら自然に囲まれた神戸は最高に素晴らしい街です。

私の地元、大阪の堺も勿論素晴らしい街ですが、ジャンル的に全く別の物のような気がします。

子供の頃、初めて神戸に連れて来られた時、自分達の住む街とはまるで別世界のとってもお洒落な外国に来た様な強烈なインパクトを感じた事をハッキリと覚えています。

特に少し年配の女性から出る気品高さと自分のオカンを見比べてまるで違う生物の様に感じました。

今、35になって、12年神戸に住んでみても、その感覚はそれほどズレた感覚では無かった様に思います。

神戸の美しい景色は1つ1つの建物が集まって出来た集合体です。

1軒のお家を美しく塗装する事が1軒、1軒集まり、それが集合体となって街全体の色となり、神戸の美しい景色になるのです。

大袈裟かも知れませんが、私はいつも自分が神戸の街造りに携わっていると言う事を自覚し、それを誇りに思っています。

幼稚な表現かも知れませんが、神戸と言う塗り絵のいくつかのパーツを自分が塗っている感覚です。
神戸中の塗装屋が力を合わせて塗り絵を塗っているのです。

本当の塗り絵と違うのは、完成は無いと言う事、常に変化し、進化し続けると言う事。

今年はどれだけの建物の塗装をし、神戸の美しい街並みに貢献出来るのでしょう?
考えるだけでワクワクします。














リベンジ!!

 

上の写真が2日前の夜、正確には昨日の午前0時過ぎに行った寂しい初詣写真です。

屋台も閉まり、真っ暗だった寂しい初詣です。

年の初めがこれではちょっと縁起が悪いような気がします・・・・・・・・

写真では分かりにくいですが、生田神社内にはほとんど人がいません。



と、言う事で嫌直しの初詣 (初詣じゃないかもですが、私の中では初詣)に行って来ました。

夜中とは違い、屋台も活気があって、人もギッシリいました。
これこそ初詣!!

普段なら人の多さにイライラするのですが、私と宮野だけは人が多い事に感動しました。

これでやっと、ちゃんと新たな1年のスタートをきった様な気がします。

あっという間にえべっさんですが、正月の行事はこれで1つ無事に終えました!!



私の大事な新年会。

 

妻の実家で一泊した後、恒例の 「私の実家におせちを貰いに行くツアー」を行い、大好きなおせちを親から貰って帰って来ました。

元旦から何日も同じ料理が続くおせち料理が子供の頃は大嫌いでした。
しかし、成人した頃からは買ってでも食べたい正月だけ食べれる最高のご馳走です。
全部が酒の最高のあてになります。
酒飲みにとってはたまりません。 おせちに熱燗、最高です!!

昨日の夜からは、これまた恒例の 「宮野の実家で新年会」に行って来ました。

宮野は私の可愛い可愛い弟分です。

14年前、私がまだサラリーマンの頃に私の部下として1年程一緒に仕事をした仲間です。
人との付き合いや気遣いは元々出来た宮野ですが、営業や、特に飛び込み営業は全くの素人でした。 その宮野に営業のノウハウを叩き込み、1人前の営業マンに育てました。

わずか1年程の同じ職場の上司と部下でしたが、その後もプライベートで付き合いし、今に至ります。

数年前に宮野は横浜でジュエリーの会社を作り、今は社員も沢山抱える大社長です。

3年前の正月、神戸に里帰りした宮野が実家に招待してくれ、お父様・お母様にたらふくご馳走して頂きました。
それが今年で3年目になります。

その後、夜中に生田神社に初詣に行きます。

今年の初詣は非常に寂しいものでした。

全ての屋台が閉まり、境内は真っ暗。 1番奥はシャッターが閉められ参拝出来ませんでした。
その後、飲み直しの為、三宮をウロウロしましたが、店に入るまで1時間もかかりました。
大半の店が閉まり、人通りも少なく、真っ暗でした。
三宮ってこんなに寂れた街でしたっけ?

精一杯、面倒を見てもそれを恩とも感じない人間も多く、逆に恩をあだで返す人間も少なくありません。  たった1年、一緒に仕事をした仲をいつまでも恩と感じ、いつまでもそれを義理堅く守ろうとしてくれています。

こんな私をいつまでも兄貴分と立ててくれ、私が困った時にはいつも影ながら応援してくれます。

宮野の実家には私以外に、宮野の同級生達が入れ替わり立ち代わり次々やって来ます。
面倒見の良い お父様・お母様は誰彼構わず美味しい手料理と、美味しいお酒、そして楽しい会話で優しく、楽しく皆をもてなしてくれます。

ご両親と宮野を見ていると、つくづく、この親があって、この子が育ったんだとしみじみ感じます。

来年も、兄貴分として胸を張って良い報告が出来る様、今年1年本当に頑張ろうと改めて決意しました。

お父ちゃん。 お母ちゃん。 本当に今年もご馳走になりありがとうございました。
来年もまたお世話になりますので宜しく御願い致します!!



あけましておめでとうございます。

 

あけましておめでとうございます。

今年1年間が皆様にとって本当に良い1年になる事を、心より祈っております。

さて、私は、毎年恒例の 「年末に妻の実家に帰る」 イベントの真っ最中です。
私の勝手な意見ですが、結婚や離婚と言うのはお互いの両親の影響にかなり左右されると思います。

くどい様ですが、これは私の勝手な意見です。

妻とはもう結婚して12年になります。 12年の間には本当に離婚の1歩手前まで行くような大きな危機が3度ほどありました。
小さないざこざは数え切れないほどあります。

大喧嘩をすると必ず妻は実家に帰ります。 私はもう帰って来ないのだろうと思っています。
しかし、数日すると突然妻の父が妻を連れて家にやって来るのです。
多分、数日間は父は妻に何も言わず、実家で骨休めをさせているのでしょう。

そして突然私に合わせ、数時間に及ぶ話し合いが始まるのです。
喧嘩の原因が何であろうが、どんなに私が悪かろうが父はどんな時でも100%私の味方です。

結婚のキッカケも父でした。 妻とまだ付き合っている時に「妊娠したかも知れない」と妻に聞いたその夜、父は突然神戸にやって来て、数時間私と話をしました。
最終的には「絶対、こいつを幸せにします。」と父に約束している私がいました。

父は4年前、仕事中に突然倒れ、そのまま救急車の中でこの世を去りました。 53歳でした。
仕事熱心で、休みの日にも常に体を動かし、何よりも家族を大切にする父が大好きでした。

丹波笹山のこの家に来ると、いつも父の事を思い出します。
初めて家に来た時、「美味しいから食べて見て」と血だらけの鹿の肝臓をボール一杯に出して来て、「これ、今朝、俺が撃ったんだ。」と自慢げに言う父。
毎年元旦には「今年こそは!!」と新聞と宝くじを交互に見ながら、「あ〜今年もあかん。」と苦笑いを浮かべる父。
毎年恒例だった、父との元旦ゴルフで「この前買ったこのドライバーは絶対飛ぶよ。」と言いながらフルスイングでボールをシャンクさせ、大胆なOBを連発し恥ずかしそうな笑みを浮かべる父。

そんな父が私は大好きでした。

この先も妻とは危機を向かえるかも知れません。 でも、私が妻と別れる事は絶対にありません。
「幸せにする」と約束し、まだ幸せにしていません。 それどどころか苦労ばかりかけています。
大好きな父との約束さえまもれないのなら、他のどんな約束も守れないような気がします。
私はそんな男にはなりたくありません。

だから私は家族を幸せにします。

そしてこんな私に付いて来てくれている、職人達やお客様も幸せにします。
それが、私の元旦に決意する今年1年の抱負です。

どうか、本年も匠塗装を宜しく御願い申し上げます。




次女を愛せるか?



次女の紋乃(あやの)4歳です!!

午前中に事務所の大掃除を終え
自宅に戻ると、娘2人が暇そうにしていたので、
次女だけを連れて近所のガストに行きました。

長女は妻と出掛ける用事があるので。とキッパリ断りました。

さすがに大型連休中。 ガストはババ混みでした。
昼食に連れて行ったのに娘はヨーグルトだけを嬉しそうに食べていました。
途中、ジュースを入れに行ったり、トイレに行ったり、何度か私は席を立ちましたが
その都度 娘は身を乗り出して私の帰りを待ち、「パパと一緒が良いから、もうどっこもいかんとって!!」と、家では絶対言わないような可愛い事を言ってくれます。

長女と次女は6歳離れています。

次女が2歳位までは、全く次女が可愛く無くて沢山の先輩に真剣に相談しました。
「長女が可愛すぎて、次女が全く可愛くないんです。」
「私にも次女をいつか愛せる日が来るんでしょうか?」

先輩皆が口を揃えて言います。 「大丈夫。 そのうち逆転するから。」

世のパパさんの中には同じ様な想いをお持ちの方もいらっしゃるのでは?と思います。

しかし、やはり年長者の言う事は間違いありません。

いつからか完全に逆転しています。

世話好きで優しく思いやりの有る大人しい性格の長女と、非常に気性が荒く目立ちたがり家で、何でも自分で決断し、言い出したら自分が納得行くまでやり遂げる次女。

性格は真逆の2人ですが特に次女は私そっくりなのでイライラしている時、喜んでいる時、私には次女が何を考えているのかが手に取るように分かります。

先月、次女の幼稚園で 【おゆうぎ会】 があったそうです。
妻が嬉しそうな顔をして夕食を食べていた私に、「今度のあやちゃんのおゆうぎ会、浦島太郎するんやけど、あやちゃんの役 何と思う?」

私に唐突に聞いて来たので「?????・・・・・・・・・・カメか?」と言うと、妻は大爆笑しながら 「浦島太郎」と言いました。


役を決める時に、先生が「浦島太郎したい人?」と言うと、次女が「あやちゃんがやる!!」

「絶対、あやちゃんがやる!!」と聞かなかったそうです。

浦島太郎は男の子の役だから、と先生が男の子の中から立候補させようとしたらしいのですが、「そんなん関係ない!! 絶対あやちゃんがやる!!」と先生に噛み付き、男の子達も紋乃に気を遣い、誰も手を挙げなかったそうです。

最終的には練習の段階で先生に説得され、本番は「おとひめさま」の役になったそうです。

目立ちたがり家ででしゃばりで、言い出したら人の意見にも耳を貸さない次女はこれから人一倍 叩かれてたくましく育つ事だろうと思います。
出る杭は必ず打たれるものです。

私もそうやって育ちました。

でも多分、親バカなのかも知れませんが、それほど浦島太郎にこだわったのは、自分がやりたいと言う気持ち以上に、何か言葉に出来ないような使命感があったのだと思います。

親としては、いくら打たれてもその大事な使命感や正義感だけは失わず育って欲しいと思います。










ブログスタート!!

 
初めまして!! 匠塗装 代表の森田 裕介です。

今日からブログを始めます。 毎日は書けないと思いますが、出来る限り投稿しますのでお時間のある時にはお付き合い下さい。

私がブログを書く目的は3つ。

 _饉劼隼笋了をより深く知って頂く為。

◆〃築業界・塗装業界の裏側や現場の実情を知って頂き、様々な情報提供をしたい。

 読んでくれている人に笑って頂きたい。

以上の3つが私がブログを始める理由です。

ですので、本音を包み隠さず正直に書く事をお約束します。

また、見ている人が面白く無いと思うので極力 自社の宣伝は致しません。  
                               ↑これはお約束は出来ません(笑)

最初のブログですので、全く会社や私の事を知らない人の為に、自己紹介させて下さい。

私は子供の頃・・・・正確には幼稚園の頃から【建設会社の社長になる!!】と言う夢を持っていました。

そのキッカケは祖父の死です。

私の地元 大阪の堺市で祖父は建設会社を経営していました。
学校や体育館、公民館やビル・マンション・・・・・・今でも祖父の建てた建物は沢山残っています。

私も子供心にいつか自分がその会社を継ぐものだと考えていたし、そう言われて育ちました。

地元では有力者の祖父と出掛けると、何処に言っても私は可愛がられ、大事に扱われました。
しかし、私が幼稚園の頃、祖父は他界し、会社はもろくも無くなりました。
そこから周囲の人の手の平を返す様な態度に私は怒りを感じました。

必ず、自分が建設会社の社長になり、世間を見返してやる!!
強い決意が私の原点です。

子供がキラキラした目で言う夢とは正直かなりズレています。

目標を1日でも早く叶える為、小学校5年の頃から、小・中・高校に通いながら休みの日には始発電車に乗り、大阪の西成と言う所で、日雇い人夫と一緒に大工や鳶、塗装や左官仕事に従事しました。

23歳の時、自分の力が試したくて友人・知人・親戚の誰もいない神戸にひっそりと移り住み、誰にも告げず、リフォーム会社を創りました。

会社は破竹の勢いで大きくなりました。

たった1人で始めた会社でしたが、社員が1人増え、10人増え、50人増え、100人増え。
支店も出来、リフォーム専門から新築や商業店舗、官公庁の入札工事も沢山行いました。

社員の中からも経営者を輩出したいと考え、子会社やグループ会社も出来、飲食事業や他業種にも手を伸ばしました。

しかし、数年前に社会問題にもなった悪質リフォーム事件で会社は大打撃を食らいました。

実際の工事のご挨拶を近所に伺うだけで 「悪徳リフォーム会社が現れた」と通報され、社員の引き取りに警察署を回る事が私の仕事になりました。
売上は一気に低迷し、沢山の社員の人件費や他業種を維持するだけで毎月 何千万のお金が溶けて行き、ちょうど10年目を迎えた会社の幕を自分で下ろす事となりました。

それが今から約3年前の出来事です。

それから10ヶ月、私は無職の引きこもりでした。
今、思い返しても本当に地獄の様な日々です。

今でも、会社を倒産させる恐怖や沢山の物を失う恐怖は心の傷となって残っています。

10ヶ月間 何度も考えました。 「何故会社は潰れたのだろう?」 「どうすれば生き残れたのだろう?」

思い当たる事は星の数程出て来ますが、ただ1つだけ答えるとするなら、認めたくは無いですが「本当の右腕が居なかったのだろう・・・」と言うのが多分 本当の答えです。

優秀な人材や長年務めてくれた忠誠心の強い大幹部は沢山いたのですが、多分 自分がどこかで勝手な線引きをしていたのでしょう。

もう二度と同じ業種で仕事をしたくない。 もう二度と経営者になりたくない。
と何度も思いましたが、今、実際に同じ業種で、経営者として自分は存在しています。

今、振り返れば思います。

自分の今までの夢は、見返してやる。と言う復讐や恨みから来る目標で、そこに人の笑顔や自分自身の本当の笑顔が無かったように思います。

私は1度、大きな失敗をしています。 沢山の物を失いましたが、沢山の友人や家族が残ってくれています。

今、私が仕事をしているのは復讐などではなく、こんな私に付いて来てくれた職人達や家族、そして沢山の友人やお客様に恩返しがしたい。
周囲の人達を本当の笑顔にしたい。 と願う気持ちからです。

私は二度と同じ過ちを犯しません。 そして必ず周囲の人達を本当の笑顔にします。

今、本当に建設業界は厳しく、特に塗装業界は来年 全国的に強烈な不景気になると予想されて
います。

しかし、私達 匠の職人は必ず生き残ります。

皆様、末永い お付き合い よろしくお願致します。



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